関西空港

台風21号故郷大阪を直撃。大阪を離れて仕事をしているけど。何だかんだ言ってもまだ両親もいるし、友人もいる。仕事もまだ続いている。月に1回か2回は行くというか帰るのが当たり前。遠く離れていても気になるのは当たり前。夕方衝撃的映像が僕の目の前にきた。関空が海に浸かっている。先週も週2回利用したばかりだ。関空誘致から積極的に関わって来た自分だし、オープンからずっと伊丹空港ともども同じ大好きで思い出が詰まった空港。昔落ち込んだ時、対岸から、台風の中を突っ切って必死に飛んで行く飛行機を見て勇気をもらったり、夜景の中、世界中のエアラインの離発着を見ていると、もっと地球規模で考えて行動しななきゃと励ましてくれた空港。先週も、空港着くと、大好きなシュウマイと豚マンをほうばり、店員のおばちゃんによう食べはるなーと褒められ、飛行機に乗ったら、アナウンスでほんまおおきにと言われ、空港は最新のデザインで24時間空港なのに庶民的なとこもしっかりあり。心の大切な部分を大阪北部地震も含めて、どうしてチクチク刺してくるのだろう?関西、とりわけ大阪は、僕にとって体の一部なんだと改めて思う。本当に見たくない映像は、テレビを消してしまうんだ。フライトレーダーを見ても東京と同じくらい賑わう関西、いまは飛行機がほとんど飛んでいない。

頑張れ、大阪、立ち上がれ、関西。

天才集団

(障がいを持っている子ども達20名くらいと日々少しの時間過ごしていて思う事)みんなと同じ、平均的な行動をしなければ、全員障がいがあると思われている。僕と話すと天才的な能力を発揮するのに、普通の大人は誰もそれに気づいていない。もっと自由に学べ、生きる事ができたら、彼らは障がい者でもなんでもなく、天才と呼ばれる分野が数多くある。大人の考え次第。僕はなぜか彼ら目線になっている。

大阪北部地震

故郷大阪の傷は、僕の心の奥の傷と変わらない。僕しかできない事を考えている時だけ晴れ間が見える。

富士山

今年で12年目 今まで総合計550人、障がいを持っている50人と富士山にチャレンジして来た。2年ごしの車椅子でチャレンジ。障がいがある事が挑戦する事の障害になってはならないと思って、リスクを大いに背負いやり続けて来た。少しは世の中変わったかなー?一人心の中で、そろそろ役目も終えたかな?富士山は、今回も雨の涙で締めくくり。又、いつか。死ぬまでにもう一度来るから。

西日本豪雨災害

豪雨災害の翌日の月曜日、東京から宮崎まで快晴の日本の上空を飛行した。窓から見える日本は、傷だらけのように見えた。緑の山には、大きい、小さい、深い、浅い茶色の濁流の川が切り傷のように見え、それらが流れる海の湾は、茶色の血が流れ込んでいるような異様な景色だった。そしてその大きな景色の向こうには、災害に会われた方の深い心の傷があるんだと思うと、何から僕は手をつけていけばいいのか、いつも途方にくれる。

挑戦する親子

これで親父(78歳、全盲)が倒れるのは3回目。大阪北部地震の夜、脳血栓で転倒。背中の頚椎が損傷骨折。この人についている神はこの人にまだ試練と戦いを与えるのだろうか?そしてその試練に立ち向かう親父を見て、自分も親父も又戦う。特養から病院へそして入院、手術。場所は大阪、私は車椅子富士山の責任者。仕事は東京か宮崎か大阪での仕事。宮崎の嫁の経営する会社も障がい者雇用促進のピークを迎え、4月にオープンした放課後等デイサービス(障がい児童の保育サービス)も定員オーバーのロケットスタート。人、物、時間の制限の中でせめて8月を超えてくれていたら少し時間的に余裕があるのだが、、でもいつも両親の事になると思うようにはいかない。早く手術をすれば、リスクはあるが、痴呆の進行も止まるという可能性を信じて、そして宮崎の障がいのある子ども達に親父の突き進む人生のピアノの音色を聞かせてやりたい。そして長い人生、大きな壁を何度も乗り越えて、夢に挑戦していく姿を見せてあげたい。そんな思いが強いからこそ、この1週間で2往復、熱波の大阪を往復した。昨夜はなんと鹿児島発着という裏技まで開発できた。又5分程度でも大阪の信頼できる人達にも会えた。先ほど電話にて本日の手術は、大成功。経過も順調とのご報告を頂き、又、親父から色々無言の指導を受けた気がしたようだった。いつも思う。こちらが何かをしてあげる。でもしてあげるのは当たり前で、教えられる事の多い親父である事も確かである。少しでも彼の挑戦の人生が無駄にならないよう、まだまだ多くの挑戦者達に伝えていかなければならない様々な事は富士山以上に高いし多い。





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